事業承継の現場において、「保険を活用すれば大抵の資金問題は解決できる」といった提案を耳にすることがあります。確かに、保険は退職金の原資や自社株買い取り資金、相続時の代償金など、多様な目的に対応できる柔軟なツールです。しかし、実務上は「保険で解決すべきケース」と「保険で解決すべきでないケース」が存在します。今回は、実際の試算を交えてその違いを整理します。
保険が有効に機能するケース
― 経営者退職金の原資を確保するための活用 ―
A社(製造業・従業員20名・純資産2億円)は、創業社長(68歳)の引退を2年後に予定していました。
社長への功労を踏まえ、退職慰労金3,000万円を支給する方針を取締役会で決議。
ただし、手元資金は約2,000万円しかなく、支給時の資金繰りが懸念されていました。
そこで導入されたのが、長期平準定期保険(返戻率85%・損金算入40%・資産計上60%)です。
A社は5年前、被保険者を社長、保険金額3,000万円、保険期間15年の契約を締結。
年間保険料は300万円で、以下のような処理を行ってきました。
区分 年間保険料 損金算入 資産計上(前払保険料)
5年間累計 1,500万円 600万円 900万円
5年経過時点での解約返戻金は約1,275万円(返戻率85%)。
社長の退任に合わせて解約し、受け取った返戻金を退職金の一部原資として活用しました。
支給時の仕訳は次の通りです。
(借方)役員退職慰労金 3,000万円
(貸方)現金(保険解約による) 1,275万円
預金(その他資金) 1,725万円
このスキームにより、
• 保険料の40%(600万円)は損金算入により法人税負担を平準化
• 解約返戻金を退職金原資に充当することで、急な資金流出を抑制
• 退職金支給により、法人側の損金算入+個人側の退職所得控除の双方が活用可能
という効果を得られました。(※ただし、解約返戻率が85%であるため、15%に相当する▲225万円減額しているため、法人税で節税できた金額と比較検討する必要はあります)
このように、退任時期が予測でき、利益水準が安定しており、計画的な資金準備が可能な場合、保険は財務戦略上極めて有効な手段となります。
特に、税務上の繰延効果とリスクヘッジを両立できる点が大きな利点です。
■ 保険が危険なケース
― 自社株の買い取り資金を保険で準備しようとした失敗例 ―
一方で、保険で対応しようとして失敗した事例もあります。
B社(建設業・年商6億円・発行済株式1,000株)は、創業社長(70歳)が100%の株式を保有していました。
後継者である長男が事業を引き継ぐ予定でしたが、顧問の保険営業マンから次の提案を受けます。
「後継者が社長に生命保険をかけ、万一のときに保険金で株を買い取ればいい」と。
仮に株価が1株50万円とすると、全株式の評価額は5億円。
これをカバーするために、保険金額5億円・保険期間10年の定期保険を設定すると、年間保険料は約4,000万円~4,500万円となります。
当然ながら、長男個人では支払えず、会社負担を検討することになります。
しかし、会社が契約者・受取人となる場合、保険金は法人の益金として課税されます。
仮に5億円の保険金を受け取った場合、法人税率30%として約1億5,000万円の法人税負担が発生。
結果として、株式買い取りに使えるのは3億5,000万円程度に減少します。
さらに、会社が自己株式を取得すると、その支払いは会社資金の流出を意味し、純資産の減少・金融機関格付の悪化など副作用も生じます。
さらにさらに、社長が亡くなってから3年10か月を経過してしまうと自己株式取得の恩典がなくなるため、高額の税率に戻ってしまうため、自社株式を売る方の側(遺族)は55%超(所得税約45%+住民税10%)の税金がかかります。
よって、この事例では、保険で株式買い取り資金を用意するという前提自体が現実的ではありませんでした。
このように、保険は事業承継における有効な選択肢の一つですが、「すべてを保険で解決する」発想は危険です。導入前に、以下の3点を必ず確認することが重要です。
1. 目的の明確化
退職金原資・納税資金・代償金など、用途が明確か。
2. 財務体力の確認
保険料負担がキャッシュフローを圧迫しないか。
3. 税務の整合性
損金算入割合・解約返戻金課税・法人税負担の有無を事前にシミュレーションしているか。
事業承継支援の現場では、「節税」「資金確保」「相続対策」という言葉が先行しがちです。
しかし、最も重要なのは、後継者が安定した財務基盤のもとで経営を継続できるかどうかです。
保険はあくまで、そのための一つのツールにすぎません。
「何を保険で対応すべきか」「何を保険以外で準備すべきか」――
この線引きを誤らないことが、保険を上手に活用するポイントだと言えるでしょう。
Writer:金子 一徳
