後継者は「効率化」を目的にしてはならない

コロナウイルスの蔓延が長期化している。

嫌なことばかりで、この騒動を肯定したくないが、あえて良かったことを挙げれば、企業のIT化が進んだことだろう。2年前には考えもしなかった、リモートスタイルが定着した。ペーパー主義の会社もデータへの置き換えが進み、時間も場所も問わずに、仕事ができるようなった。面と向かってコミュニケーションを取らなければならないと考えていた社内会議も、PC画面に向かって話し合われるようになった。上司の独壇場もなくなり、気づけば会議時間が短くなったという声も聞く。

意図した、しなかったかは別として、ITによる効率化が進んだわけだ。

 

事業承継の場面では、IT化の旗振り役はいつも後継者だ。

もの心ついた頃にはPCが手元にあったデジタル時代の申し子は、社内の非効率な慣習や、浪花節的な人間関係に問題意識を持ち、得意分野で何とか変えてやろう!と行動を起こす。デジタル苦手世代の人間にとっては、ITは魔法の杖のように見えることがある。何かを変えてくれる最終兵器。雑誌や書籍で書いてある文脈からすれば、そう感じることも当然である。

もちろん、苦手意識があるため、抵抗勢力となることもしばしばだが、コロナの社会はそれを簡単に凌駕してしまった。コロナ時代、ポストコロナ時代は好む好まざるにかかわらず、デジタル化を受け入れなければ生き残っていけないのである。

 

しかし、後継者のIT推進による効率化を、冷ややかにみている社長もいる。「そんなことで経営をわかった気になるなよ」とでも言いたげに。

 

1つ事例を挙げたい。

ある観光ホテルの女将は、泊まりに来られたお客様の客室にご挨拶にまわることがしきたりとなっている。もともとは、お客さまの料理の好き嫌いや、食事の希望時間をあらかじめ聞き、料理長に伝達する目的で行なわれていた。しかし今では、お客さまとのさりげない会話から、女将が感じたことを社内のグループウエアに書き込み、全従業員でお客様情報を共有するようになっていた。
「〇〇室のご夫婦とお子さん2名のお客様。幼稚園くらいの弟さんがベソをかいていました。「僕どうしたの?」と聞いたら、今度は火がついたように泣き出しました。聞けば、来る途中で車のドアに指を挟んでしまったとのこと。私が聞いたことで、挟んだ時のことを思い出してしまったのでしょうね。」

何気ない会話だが、その場面が見えてくるような女将の書き込みのセンスに、ただただ驚嘆してしまう。これを読んだ従業員は、この家族を見つけるたびに、「偉かったね」「男の子だから強いね」と声をかけた。お父さんお母さんは、ホテルの心遣いにファンになったことは間違いない。そして何年か後に、この家族が再び訪れた時、「あの時にベソをかいていたお坊ちゃんが、こんなに大きくなったのですね」と声をかけられたら、自分達すら忘れていたことを覚えていてくれたと、感動するに違いない。

 

効率化は大切なことである。だが、本当に大切なのはその先である。効率化した時間や手間を何に使うのか?例に挙げた観光ホテルの舞台裏は単純で、会話をIT化で記録して社内で共有化しただけのことである。しかし、そのことでお客様と向き合う手間を増やし、人の心を動かすことができた。

IT化だけで「経営をわかった気になるな」と冷ややかに見る社長は、効率化のその先を見ている。そして後継者に「効率化を目的ではなく、手段にせよ」と無言で教えているのだと感じる。

(Writer:東條 裕一)