仏壇と位牌の引っ越し、そして家系図

私事で恐縮ですが、昨年12月に母が他界しました。この度、母が住んでいたマンションを処分することになり、長男である私が「祖先の祭祀を主宰すべき者」ということで、仏壇を引き取ることになりました。

私は信心深い方ではないので、仏壇と位牌の扱い方が皆目わかりません。そこで菩提寺の住職に電話をして仏壇と位牌の「引っ越し」の方法を教えてもらうことにしました。住職から「お経を唱える、引っ越しすることを先祖に告げて理解してもらう、お塩とお酒とお米をお供えする、お位牌は風呂敷や布などで包んで大切に持ち運ぶ」等々、一通りの手順を教えていただき、無事に引っ越しを済ますことができました。一般的に言われている魂抜き等は、今回は必要ないとのことで、わずらわしさを心配していた私はほっとしたのです。仏壇は持ち上げようとしたら想像していた以上に重く、傷つけないようにそっと大切に運びました。

妻の母方の実家が関西地方でお寺を続けているためか妻は仏事に理解があります。その妻が相談に乗ってくれたり、手伝ってくれたりしたことが心強かったです。

 

私の家の仏壇には位牌が3つあります。祖父と祖母が一つにまとめられたもの、父親、母親です。私の祖父は次男で、千葉県の印旛村から都会に出てきて自分の家を構えた人です。昔の言葉だと「分家」です。私の父は亡くなっており、父の兄弟姉妹も全員亡くなっているので、祖父の先祖のことを知る術がありません。私の家系図は祖父の代までしか遡れないのです。

事業承継の支援において「家系図を書いてください」と経営者や後継者の方にお願いしています。私自身も自分の家系図を作っていますが、祖父の代までしか遡れないので、「祖父母→父母→自分」という家系図になり、なんだかつまらない家系図だなあと思っていました。その話を以前妻にしたところ、「きちんと作ってみようよ」ということになり、父の兄弟姉妹と母の兄弟姉妹(私にとって叔父と叔母です)、その子ども(いとこ)を家系図に書き入れました。すると、横に長い家系図が出来上がり、これはこれで意味があるものだと思えてきました。一族に広く株が分散しているケースで見る家系図に似ていたからです。創業者が子ども全員に会社の株式を分け与えたのち、3代目の世代になる頃には株式が幅広く分散してしまうことが視覚的に見えてきたのです。

 

さて、仏壇の引っ越しに話しを戻しましょう。私の家に着いて仏壇を開いて位牌を並べていた時に、突然、時の流れの中にいる自分の姿がひらめいたのです! 祖父母の代から父母の代、そして私へという時間が位牌を並べる作業をする過程で自分の中に流れ込んできた感じです。

「このお仏壇とお位牌を自分が受け継いだのだ。そしてそれを昨年生まれた息子に継いでいく。その大きな時間の流れの中に自分は位置づけられていて、『祭祀を主宰する者』というバトンを今、確かに受け取ったのだ。そしてそのバトンは息子に渡していかなくてはならない。息子がお仏壇やお位牌をどう扱うかはわからない。時代が変われば考え方も変わる。重荷に思うのなら捨ててくれても構わない。しかし、自分には、渡す責任がある。自分にできることをしよう」

「家系図をつくるのは時間の流れの中にいる自分を感じるためなのだ。渡してくれた人がいて渡す相手がいることはそれだけで素晴らしくて、ありがたいことだ。自分は時の流れをつなぐパーツの一つに過ぎないんだなあ。きちんとつなぎたいなあ」

 

私の家系図は横に広がり、そして縦につながったのです。

 

妻の計らいで、お水とご飯とお茶、お酒におかずが、今日もお仏壇に供えられます。
私は、お仏壇とお位牌に向かって線香をあげて、息子と一緒に「チーン」を鳴らします。

(Writer:石井 照之)