家族と後継者の個人生活の両立

ある会社で、跡継ぎの予定で育ててきたご長男が交通事故で、車いすに乗る障害を受けてしまいました。社長は悩んだ末に、できる限り自分が長生きして代表取締役を続投し、次の後継者を探すことにしました。

一人目は社員から選んだ取締役ですが、後継者の方も高齢で辞退されました。
その結果、お嫁に行かずに自宅で暮らしてきた、独身の長女に会社を託す決意をしました。
この女性は優しい人で、両親の言いつけを守り、家事全般を引きうけて家庭に縛り付けられてきましたが、そのことを逆に楽しんでいる風でもありました。

 

しかし、会社の経営を引き継ぐということになれば、多くの人と接し、物事を決める決断力も要求されるので、取締役の地位はとても重く感じられました。
会社に出て3年目には経理のすべてを任され、従業員の管理面でも総務の立場から調整役を任されて、会社の管理部のトップとなりました。従業員からの受けもよく、慕われるアネゴ肌があったのか、社員の輪の中で育っていきました。
経験したことのない現場の仕事を除けば、会社が動くさまを自分で理解して、経営の実感を持てるところまで成長したのです。

入社から8年を経たある日、父が現場で倒れて、そのまま他界してしまいました。うろたえる母を支えて、工場長と二人三脚で会社を守っていく決意をした娘は、年長者の取締役に補佐役をお願いし、自分が代表取締役に就任しました。
その後会社は順調に運営されて、女性社長として頭角を現した娘さんは、地元の女性経営者の会のトップにまで就任しました。

 

しかし、夫の亡き後、全株式を相続した母親が、この娘に対して嫉妬の心を抱くようになりました。
母と娘は相似形のように共依存で生きてきたのですが、どこかでこの関係が破たんする時が来るのです。

 

神様は時に過酷な試練を人間に課すのです。
女性の寿命は、夫が死んで一人になっても伸びて行きます。100才を普通に過ごす、一人暮らしの女性もいます。ひ弱な男性よりも生活力があり、一人で暮らして行ける耐性が強いのです。
一生独身で、経営者で過ごすと言っていた娘が、50歳で同級生と結婚することになりました。
代表取締役になって10年目のことでした。
母は半狂乱となり、娘を許しません。手元から離そうとしないのです。同居していた住まいから娘が出ていく事が理解できないのです。
夜ごと繰り返す、母親との狂気にも似た話し合いに疲れて、娘は母を捨てることを決意します。
私が相談を受けたのは、この結論を得る少し前の状態でした。
仲の良い女性カウンセラーから、会社のことが分からないから一緒に支援してほしいと依頼を受けたからです。
会社の継続は、社会的責任において実行しなければなりません。
同時に女性としての幸せを、結婚で実現することも大切です。
母親を一人にできないし、障害を持つ兄の介助もあります。

 

ここにきて優しい女性経営者は大変貌を遂げます。
全てを投げ出して、結婚相手の元に行く決意をしたのです。
ソーシャルワーカーやカウンセラーと話し合い、お金の面倒は見るが、それ以外は自助努力すべきだと、独立を要求しました。
70歳を超えた母親と50代の長男が一緒に暮らせるように、自宅を車いす生活に適合するように改造し、ヘルパーさんの介助を得て、二人の新生活がスタートすることになりました。

 

会社はきれいさっぱりと、工場長に売却しました。
心の整理がつくまでに要した期間は、3年超になりましたが、新しい人生に向かって彼女はスタートができたのです。

 

冷たいように見えるかもしれませんが、年を重ねた親には、子供離れをしていただく時が来ます。
子供にも、親離れの時が来ます。
互いに、一人で生き抜いて行く強さが必要なのです。

事業承継士の伴走支援を得て、事業承継のタイミングで家族関係も整理されて、大きな社内トラブルもなく、この会社は継続しています。

(Writer:内藤 博)