経営者の当事者意識とは何だろうか?

■当事者意識とは

 後継者塾を運営していて、将来の経営者の方々と接する中で、当事者意識について考えさせられる。辞書を引いてみると、「自分自身が、その事柄に直接関係すると分かっていること。関係者であるという自覚。」とある。また類擬語には“主体性”“責任意識”があるようだ。反対語も調べてみると、“傍観意識”“無責任”などがあった。
 これらから考えると、経営者の持つべき当事者意識は、「会社に積極的に関わり、自分の意思や判断に基づいて責任を果たそうとすること」的なとらえ方で良いのだろう。言葉にすれば、そりゃそうだよねと、至極当たり前のこととで全く異論はない。しかしながら筆者は、若い経営者や後継者が、当事者意識に対してどのように考えているのか、不安に感じることが多くなった。

 

■「正しさ」と言う無責任さ

 現代はSNS時代。誰もが気軽に自分の意見を、世の中に発信することが可能になった。それまでは、飲み会で気の置けない仲間に向かって、自分の考える「正しさ」をぶつけることがせいぜいだった。しかし今では、ひとりが叫ぶ「正しさ」が、あれよあれよと言う間に拡散して大きな正義となり、それが世論となって、政治家を辞めさせることも、上場会社の株価を急落させることも可能となった。
 辞めた政治家も、株価が下がった企業も、正しかったのか、正しくなかったのか、と問われれば、誰がどう見ても正しくなかった。だから、制裁をくらわされたのだろう。だが筆者は、そこまでの仕打ちをうけるような悪事かと考えると、そうでない場合が圧倒的だと思っている。
 ひるがえって、「正しさ」を拡散して、政治家や企業に責任を取らせた側は、どんな責任を負っているのだろうか?言うだけ言って、あとは傍観者となっていないだろうか?傷つくことがない防御ネットの中で、自分の正義感に酔っているだけではないか?

 そこに当事者意識はあるのだろうか?

 

■「正しい」と「適切」は同じとは限らない

 筆者が、若い経営者や後継者に対して、当事者意識に対する不安を感じている大きな原因の一つは、たくさんの「正しさ」を知りすぎているからと思っている。

 親は子供の可能性を広げようと、教育にたくさんのお金をつぎ込み、高校や大学で勉強をさせた。そこで子供は、一般教養、政治経済、経営学やマーケティング理論を学んだ。社会に出ても、新聞や経済紙、書籍、インターネットでたくさんの情報に触れることができた。そうして身に付けたのが、会社とはこう在るべき、経営者とはこう振舞うべき、という世の中が説いている「経営の正しさ」である。その「正しさ」から自社を見たときに、「正しくない」がたくさん見えてきて、それを否定しようとする。そして正そうとする。そんな場面に少なからず立ち会ってきた。
 もちろん全てが間違いではない。しかし、世の中的な正しさで判断するなら、誰にでもできるし、経営者として無責任であると思う。その結果会社を傾かせてしまい、「正しいことをした結果」と言っても、責任転嫁になるだけで、言い訳にすらならない。SNSの中の無責任な正義感と同類である。
 経営者は、自社にとって一番「適切」な方法は何かという視点で判断するべきである。黒に限りなく近いグレーであっても、会社が存続・成長していくなら、社員の生活を守っていけるなら、それを選択するのが、経営者の役割である。世の中的な「正しさ」ではなく、自社にとっての「適切さ」を判断の基準とする。そして、世の中の考え方と外れているとわかっていても「適切さ」を探すのが、経営者の当事者意識なのである。

 

■後継者塾で学んでほしいこと

 後継者塾では世の中的な「正しさ」も学ぶ。経営のセオリーというものである。しかし、同時に自分の会社「らしさ」も学ぶ。どちらも身に付けるからこそ、自分の会社にとっての「適切さ」を探すことができるようになる。学術的より実践的、机上の理論を排除して経営の現場に役に立つ、をモットーに後継者塾のカリキュラムは作られている。

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(Writer:東條 裕一)